大阪高等裁判所 平成元年(う)827号 判決 1991年2月07日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人後藤昌次郎、同丹治初彦、同武村二三夫、同小野幸治、同多田徹連名作成の控訴趣意書、弁護人小野幸治作成の控訴趣意補充書及び弁護人後藤昌次郎作成の控訴趣意補充陳述と題する書面記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官朝倉安藏作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
第一控訴趣意中憲法違反、条約違反の主張について
一論旨は要するに、外国人登録法(以下、外登法という)一一条一項、一八条一項一号は憲法一三条、一四条、三一条、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年八月四日条約第七号、以下、国際人権規約B規約という)二条、二六条に違反し無効であるのに、これを原判示所為に適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
しかして、所論が前記法律の条項が無効であると主張する論拠として挙げる点の要旨は次のとおりである。
1 憲法一三条違反
外国人に対して外国人登録原票の記載が事実に合致しているか否かにつき五年毎に確認申請する義務を課した外登法一一条一項の登録確認制度(以下、確認制度という)は、登録事項に変更があるか否かにかかわらず外国人に対して一定の時期に市町村役場に出頭することを義務づけるとともに、自己に関する情報の確認を受けることを強制するものであって、私生活上の自己の行動や情報について国家の干渉を許している点において人権侵害性の存する制度であり、個人の人格的尊厳及び幸福追求権を定めた憲法一三条に根拠を置く私生活の自由の規制に係わるものであるところ、
(一) 現時点においては登録制度の運用が整備され、その結果、不正確な登録を淘汰し不正登録を防止するという確認制度を支えて来た制度実施当初の立法事実は解消されたため、その存在目的とされる登録の正確性の確保という点もそれが絶対的とはいえなくなっている。一方、外国人登録原票の記載の正確性を保持するためには外登法は八条、九条で変更登録の制度を設けているのであるからそれで十分であり、さらにその上に確認制度まで必要はない。
原判決は確認制度の必要性について、外国人も多数在留すれば変更登録を意図的にしない者、失念する者、誤記するものが出てきて、定期的な確認がなければ登録原票記載の居住関係や身分事項が実態と符合しなくなり外国人の公正な管理に支障を生ずるというのであるが、確かに、多数の者に変更の自主的な届出のみを義務付けて運用した場合に実態と符合しない登録も相当数存在するであろうことは推測できるが、これによって生ずる登録の正確性の瑕疵は絶対的な正確性を求めることによって生ずる人権上の侵害との対比において自制する必要がある。
また、日本人について同様な目的のために制定された住民基本台帳法が住民登録において確認制度を採っていないことと比較しても、日本人と外国人との間にかような区別をする合理的な理由はない。したがって、変更申請制度のほかに、さらに、確認制度を重ねる必要性はない。
(二) 次に、確認制度の目的達成の方法もしくは手段の相当性について、原判決は、外国人が受ける不利益として想定されるものは登録事項確認申請書、旅券、写真を用意して五年毎に居住地の市町村役場に出頭する物心両面での負担と登録事項の確認を市町村役場の担当者から受けるに際して自己に関する情報を提供しなければならないという精神的苦痛であるとするが、外国人が受ける不利益、苦痛はこれに尽きるものではなく、例えば、五年も先の次回の確認申請をしなければならない時期を常に念頭に置いておかなければならないという精神的負担、確認をするという制度それ自体に内在する外国人に対する猜疑心、すなわち、登録事項が虚偽ではないか、あるいは、間違っていないかという疑いを前提とした猜疑心に基づき、確認事務に当たる市町村役場の担当者から疑いの目でもって「確認」されることによって受ける外国人の精神的苦痛もある。
(三) その方式についても、原判決は「外国人が担当者から質問された際に提供する情報は、確認という目的に必要な極めて限定されたものであり、特段、精神的苦痛を強いられているものではない」旨説示するが、前述のように疑いの目をもって確認するとなれば、いかに外形的なものであるとしても国籍、在留資格、職業、勤務先の住所、名称、世帯主の氏名及び続柄などを聞かれることは、時として、個人の私生活の平穏あるいは思想、信条の自由に立ち入る結果となることは十分にあり得ることである。
(四) また、原判決は確認制度によって国家社会及び外国人が受ける利益に比して外国人の蒙る不利益は極めて軽微であるとするが、これは外国人の蒙る不利益が憲法上の極めて重大な基本的人権であることを無視したものであり、このような客観性を欠く利益衡量はなんらの合理性を有しない。
以上のとおり、確認制度はその目的に合理性がなく、その必要性も存在しないものであり、外国人の私生活の自由に徒らに干渉する人権侵害立法であるから、このような確認義務を課した外登法一一条一項及びその違反を処罰する同法一八条一項一号は、憲法一三条に違反する。
2 憲法一四条、国際人権規約B規約二条、二六条違反
(一) 前記のとおり、確認制度にはその制度の内容において人権侵害性が存するところ、日本国民についての居住関係及び身分関係を明確にすることを目的とする住民基本台帳法及び戸籍法が確認制度を採用していないのに、外国人について同じ目的を有する外登法はこれを採用し、しかも、外登法は確認申請義務違反には一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円以下の罰金を科す(懲役又は禁錮及び罰金の併科もありうる)という重い刑罰を規定しているのに対して、住民基本台帳法や戸籍法では届出義務違反等について過料の規定が置かれているのみであるが、日本国民と外国人とをこのように差別して取り扱う合理的な理由はない。
(二) さらに、在留外国人については、これを長期在留外国人とその他の外国人とに分けて考える必要があり、その生活実態などに応じてこれらの人に対する対応を異にすべきで、とりわけ日本社会における在留外国人の圧倒的多数が朝鮮ないし韓国籍を有する人で、これらの人のうち相当数が第二次世界大戦を契機に朝鮮半島から強制連行されて来日し、しかも戦後、韓国、北朝鮮などが独立した結果、それまで日本国民として生活してきたのに、その生活実態は変わらないまま外国人として処遇されるに至った人々及びその二世、三世であるところ、被告人の場合も、祖父母や親の代から日本で居住し、日本で出生し、教育を受け、仕事につき、税金などの様々な社会負担も日本国民と同一に負担し、国籍は外国籍であっても生活の実態は日本人と変わらず、しかも、日本に永住権を有している在日朝鮮人であるから、このようないわゆる長期在住外国人とりわけ在日朝鮮人については短期在住外国人と同一には論じられない。
以上のように、日本国民と差別して外国人とりわけ長期在住外国人に確認申請を義務付け、その違反に刑事罰の制裁を加えることを正当化する合理的な理由はないから、外登法一一条一項、一八条一項一号は法の下の平等を保障する憲法一四条及び国際人権規約B規約二条、二六条に違反する。
3 憲法三一条違反
外登法一八条一項一号は一一条一項の規定に違反しこれらの申請をしないものを処罰しているが、この規定の構成からみると過失犯を含むか否かは明確ではないというべきところ、原判決は外国人登録原票の確認申請義務違反はその制度の趣旨、違反態様及び外登法一八条一項に罰金刑の定めがあることなどから過失による場合を含む趣旨であると解釈している。しかしながら、法が特別規定を設けていないにもかかわらず、ただ単に法令の趣旨とか規定の精神とかいった理由によって処罰の範囲を拡大することは罪刑法定主義の原則に反するものであり、原判決の外登法一八条一項一号は過失犯を含むものであるとの解釈は法令の解釈を誤ったものであり、刑罰法規の明確性を保障する憲法三一条に違反する。
二当裁判所の判断
そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討するに、確認制度を定めた外登法一一条一項及びその違反を処罰する同法一八条一項一号は所論が掲げる憲法及び国際人権規約B規約の各条項に違反しないというべきであり、原判決が右外登法の条項を被告人の原判示所為に適用したのは正当であって、所論がいうような法令適用の誤りは認められない。この点に関し原判決が(弁護人の主張に対する判断)の項で所論とほぼ同旨の主張に対し詳細に説示するところは十分首肯できるのであるが、さらに所論にかんがみ付説することとする。
1 憲法一三条違反の主張について
憲法一三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、これは国民の私生活上の自由が国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。それ故、国民は個人の私生活上の自己の行動や情報についてみだりに国家の干渉を受けない自由を有するものであり、国家権力が正当な理由もないのに私生活上の行動や情報の開示を強制することは憲法一三条の趣旨に反し許されないといわなければならない。
そして、憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであるから、憲法一三条による、みだりに私生活上の行動や情報の開示を強制されない自由は、わが国に在留する外国人に対しても等しく保障されていると解すべきである。
しかしながら、個人の有する右自由も国家権力の行使から無制限に保護されるわけではなく、公共の福祉のため制限される場合があることは憲法一三条の規定に照らし明らかである。そして、その制約の基準は、現行法上の確認制度が正当な行政目的を達成するため必要かつ合理的な制度であるかどうか及びその規制が目的のため相当な範囲内にあるかどうかを審査すれば足り、それがいずれも積極に解される場合には、正当な公共の福祉による制約として、憲法一三条に適合するというべきである。
(一) そこで、まず、確認制度の概要についてみるに、外登法は外国人の登録制度を設けており、本邦に在留する外国人は一定の期間内に居住地の市町村の長に対し新規登録の申請をすべき義務を負い(三条)、外国人から新規登録の申請があったとき市町村の長は当該外国人の居住関係及び身分関係に関する事項を登録原票に登録し、これを市町村の事務所に備え付ける(四条)が、さらに、一定期間を超えて在留する外国人は五年毎にその居住地の市町村の長に対し右外国人登録原票の記載が事実に合っているかどうかの確認を申請する義務を負い(一一条)、確認申請義務に違反した者は一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円以下の罰金に処せられ、懲役又は禁錮及び罰金を併科されることがある(一八条)。
(二) 次に、外登法及び確認制度の目的の正当性について考察するに、現在の世界は多数の主権国家から成立しているので、いかなる国家においても、その国に一定の条件で在留する外国人に対し、出入国管理行政はもとより教育、医療、福祉、租税その他各種の行政を適正に遂行するため、その前提として、国内にいる外国人を公正に管理し、その在留資格、居住関係及び身分関係など在留の実態を正確に把握しておくことが必要である。そして、そのためにわが国は外登法で外国人の登録制度を設け、同法一条においてその立法の目的を明記している。わが国における外登法は、その規定を通覧してみても外国人登録に関する手続や登録証明書の交付の手続等を定めており、右目的のために制定されたものであることは明らかであるというべく、もとよりその目的は正当である。また、同法の定める外国人登録制度は、国側の行政上の必要ばかりでなく、外国人本人にとっても就職、商取引、運転免許取得その他の場合において自らの身分関係を証明する手段として広く利用されており、わが国内における生活全般にわたり重要な機能を果たしている。さらに、近時国際交流が盛んになるにつれ、ますます正確な在留外国人の実態を把握する必要性が増してきているとともに、外国人登録制度が在留外国人に対する国民年金、生活保護、児童手当など各種社会保障制度の基礎資料などにも広く利用されてきていることは、外国人登録制度そのものの重要性が増大こそすれ減少していない証左といわなければならない。
また、右目的のために制定された外国人登録制度は、その目的達成のため当然の前提として、登録が在留外国人全てについて漏れなく行われ、かつ、その登録事項の内容においても実態に符合した正確性の高いものであることが要請されているものと解されるところ、外登法は在留外国人に対し新規登録義務を課している(三条)ほか、登録原票における居住地及びそれ以外の記載事項の変更があった場合の変更登録申請義務をそれぞれ課し(八条、九条)、さらに、申請内容に疑義が生じた場合には市町村の長がその職員に事実調査をさせる権限を認める(一五条の二)などの規定とあいまって、外国人に対し定期的に外国人登録原票の記載事項の確認申請を行わせる(一一条)ことにより登録原票の記載の正確性を維持しようとしているものであるが、これは前記外国人登録制度制定の目的を達成する手段として必要かつ合理的なものと認められ、正当なものといえるものである。
所論は、外国人登録原票の記載の正確性を保持するためには変更申請制度で十分であり、さらにその上に確認制度まで重ねる必要はないと主張する。しかしながら、原判決も説示しているように、多数の外国人が在留する現状では変更申請の完全な履行を期待することは到底望むべくもなく、変更申請を失念するものばかりでなく、意図的にこれをしないもののいることさえ予想できないわけではないこと、さらには、誤記その他の原因によって登録原票の記載が事実と合致していない場合も考えられるのであるから、確認申請制度が存在しなければ月日を経るに従い登録原票の記載が陳旧化し、実際の居住関係及び身分関係と登録原票の記載との乖離が著しくなり、その結果、在留外国人の公正な管理に支障をきたす事態の生ずるであろうことは容易に想定し得るところである。事実、本法の前身である外国人登録令には、その制定当初、登録の正確性を期す制度としては居住地の変更登録と居住地以外の登録事項の変更登録が定められているに過ぎなかったが、その結果、偽変造の登録証明書の横行、他人名義の登録証明書の不正使用をはじめ数万におよぶ幽霊登録が生じたことが外国人登録制度に関する資料、文献に報じられており、登録の正確性を期するために改正令により登録証明書の切替交付の制度が導入されて登録のし直しが定められ、これが登録確認の制度へと発展したものである。外登法の確認制度は定期的に登録原票の記載事項の確認申請をさせることを通じて外国人に対し登録の正確性についての注意を喚起し、怠られている変更申請や登録事項の訂正の申請を促し、市町村の長に対しても登録事項の変更の有無につき直接本人を通じて事実調査を実施する契機を与えるものであって、在留外国人の数が著しく増加し、その住居移転、職業変更などが活発化しているわが国の現状をも考え併せるとき、変更登録制度を補完し登録原票の記載事項の正確性を維持する役割を果たすものとして確認制度の必要性は現時点においても、なお、容易に肯定し得るものといわねばならない。
所論は、また、日本人について同様な目的のために制定されている住民登録制度には確認制度が採用されていないことと較べても、日本人と外国人との間にこのような区別をする合理的な理由はないと主張するが、本来、在留外国人はその居住関係や身分関係が多かれ少なかれ日本人ほど明確あるいは安定しているものではない上、その身分関係等につき戸籍簿などの形で公証する記録がわが国に確保されていないことなどを勘案すれば、法が在留外国人について確認制度を採っていることもあながち不合理なものとはいえない。
(三) さらに、確認制度の方法もしくは手段につき考察するに、外登法一一条一項に定める確認制度は外国人に対して原則として新規登録を受けた日、または、最後に確認を受けた日の後の当該外国人の五回目の誕生日から三〇日以内に、その居住地の市町村の長に対して登録事項確認申請書、旅券、写真二葉を提出して登録原票の記載が事実に合っているかどうかの確認申請をすることを義務付けているところ、これによって当該外国人が受けるであろう不利益として想定されるものは、前記各書類と写真を用意して、五年毎に、その居住地の市町村役場に出頭する物心両面での負担と登録事項の確認を市町村役場の担当者から受けるに際して自己に関する情報を提供しなければならないという精神的苦痛である。しかし、五年という期間は必ずしも短期ということはできないし、しかも、通常の場合、数時間を当てることで右確認申請義務は容易に果たし得ると考えられるのであるから、右確認制度に伴う負担が外国人の私生活における平穏をみだりに侵害するようなものとはいえない。
また、確認の方式についてみるに、市町村の長(実際は市町村役場の担当者)は外国人からの確認申請があった場合、申請方式の適不適を審査した後、確認を求められている所定事項の内容について市町村役場に保管中の当該外国人の登録原票を基準として、提出された申請書、旅券あるいはこれに代わる証明書、写真などを比較対照し、必要に応じて外国人本人に質問し、登録原票の記載が事実と合致しているか否かを確かめることとなる。そこで開示される事柄は外登法四条一項各号に列挙されているとおり氏名、職業、居住地、勤務先の名称及び所在地など外形的なものに止まっており、また、確認という事柄の性質上、当該外国人の思想、信条あるいは私生活上の詳細に立ち入った詮索がなされることは全く予想されていないし、そのような事実も認められない。このように外登法に規定された確認制度により開示することが求められている情報は、同法四条一項各号に列挙された事項の確認という目的に必要な極めて限定されたものということになるのであって、それは当該申請者に精神的苦痛を強いているものとはいえない。
所論は、外国人が受ける不利益、苦痛はこれに尽きるものではなく、五年も先の次回の確認申請をしなければならない時期を常に念頭に置いておかなければならないという精神的負担、確認申請に際して市町村役場の担当者から疑いの目でもって確認されることによって受ける精神的苦痛もあると主張するが、これらの精神的負担あるいは精神的苦痛は確認制度という事柄の性質上これに当然付随するものというべく、確認制度が前記のとおり正当な行政目的を達成するために必要な手段であり、その方法も相当性の範囲を逸脱していないものである以上、外国人として受忍限度内のものといわなければならない。
その他、所論にかんがみ確認制度の憲法一三条適合性につき考察しても、右制度が同条項に違反するとは認められない。
以上のとおり、確認制度は正当な行政目的を達成するための必要かつ合理的な制度であり、その規制の内容も目的のため相当性の範囲内にあると認められるから、これを定めた外登法一一条一項及びその違反を処罰する同法一八条一項一号の規定は憲法一三条に違反しない。
2 憲法一四条、国際人権規約B規約二条、二六条違反の主張について
憲法一四条一項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定しているところ、これは国民に対し法の下の平等を保障したものであり、この法の下の平等を定めた憲法一四条の趣旨は、特段の事情が認められない限り、外国人に対しても類推されるものと解すべきである。しかしながら、各人には種々の事実的の差異が存するものであるから、法規の制定又はその適用の面において、右のような事実的差異に起因して不均衡が生じても、それが一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められるものである場合には、これをもって憲法一四条の法の下の平等の原則に反するものとはいえない。また、国際人権規約B規約二条、二六条の趣旨も同様に解される。
(一) ところで、日本国民について居住関係及び身分関係を明確にすることを目的とする住民基本台帳法及び戸籍法が確認制度を採用していないのに、本邦に在留する外国人については同じく居住関係及び身分関係を明確にすることを目的とする外登法がこれを採用していることは所論の指摘するとおりである。しかしながら、日本国民と外国人との区別は憲法自体が認めているものであり、日本国民は国籍によってわが国に結び付けられ、わが国の構成要素をなす者であるが、外国人はわが国の構成要素をなす者ではない。また、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、当該国家が自由に決定することができるものである。すなわち、日本国民はわが国に居住する権利は保障されているが、他の国においては日本国民を受け入れる一般的義務はないので、他の国に居住する権利が、当然、保障されているものではなく、これに対し、外国人においても、すべて、憲法上、わが国に入国し、在留する権利を保障されているものではない。
そして、わが国がその主権の及ぶ者を管理するにあたり、わが国とその者との基本的な関係を確実に把握する必要があるところ、日本国民については戸籍に記載される資格を持つ者を日本国籍のある者に限り、かつ、日本国籍のある者すべてを戸籍に記載することとする戸籍制度を設けて出生、死亡、婚姻などの個人の身分関係だけではなく国家と国民との法的関係すなわち国籍関係を明確ならしめることとし、これと並んで住民に関する記録を正確かつ統一的に行う住民基本台帳制度を設けているのに対し、外国人については外国人登録制度を設けてその居住関係及び身分関係を明確ならしめようとしているのであるが、これは前記のような日本国民と外国人との地位の基本的な相違に基づくものであって、もとより憲法一四条に違反するものではない。そして、確認制度をわが国民の場合について設けていないのに外国人の場合について設けている法規上の不均等は、前記のように日本国民がわが国の構成要素をなす者であるのに対し、外国人はそうではなく、何らの制約もなくわが国に入国し在留する当然の権利は有せず、また、一般に日本国民に比してわが国社会との密着性が乏しいことなどに照らし、一般社会観念上合理的な根拠に基づく必要なものであると認められる。
(二) 所論は、長期在住外国人とりわけ被告人のような在日朝鮮人の場合には、日本人と生活実態は変わらないし、その日本に在留するに至った経緯にかんがみても、日本人の場合と差別して確認制度を採る必要性は乏しく、確認制度の不合理性は顕著であり、憲法一四条に違反すると主張する。なるほど、第二次世界大戦前から日本国内に居住し、あるいは、その後わが国で出生し、今日に至るまで居住を続けている韓国・朝鮮人は、土地に深く密着し、お互いの人的関係や係累もかなりあり、日本人と同程度に居住関係や身分関係が明確である者も多いことが窺われる。しかし、そのような韓国・朝鮮人であっても、わが国との関係が日本国民の場合と基本的に異なることは前記のとおりであるばかりでなく、在留期間と在留管理との関係から考察すれば、むしろ、長期在留者ほど身分関係、居住関係の把握の必要性が大きいのであるから、戦前から引き続き在留する韓国・朝鮮人についてだけ他の在留外国人と異なる取扱いをすることは相当でないとも考えられ、また、右のような韓国・朝鮮人の中にも、わが国の社会との密着性が、わが国民と近い者からはるかに相違する者まで様々な者が含まれているので、このうちどのような要件を備える者をいわゆる定住外国人ないし長期在住外国人として、その余の外国人と区別するかは、にわかに確定できない問題であり、それ故に、これらの区別、その居住関係及び身分関係を明確に把握するのにどのような制度を設けるのが相当適切であるかを決するのは、広範な調査に基づき、正当な行政目的を達成するという観点にたった合目的的判断により立法政策上考慮されるべき問題とはいえるものの、現行法の解釈としては、定住外国人(長期在住外国人)のみを別異に取り扱うのが相当であるとは解し難い。したがって、外登法が確認制度を被告人及び在日朝鮮人を含む、いわゆる定住外国人とその余の外国人を区別することなく外国人に一律に適用すべきものとしていることが、いわゆる定住外国人とわが国民とを合理的な根拠がないのに差別的に取り扱うものであるとはいえない。
(三) また、確認申請義務違反に対して外登法が懲役若しくは禁錮又は罰金あるいはその併科という刑罰を規定しているのに対し、戸籍法及び住民基本台帳法が諸届を怠った場合に対して過料という行政罰を規定しているに止まることは所論指摘のとおりであるが、外登法一条所定の行政目的を達成するために、確認申請義務を課し、その不履行を処罰することとする確認制度が必要かつ合理的であると認められることは前記のとおりであるから、確認申請不履行を処罰すべき実質的な必要性と根拠があることは明らかであり、また、前記のとおり日本国民と外国人とは基本的な地位を異にし、わが国社会への密着性にも差異があるのであるから、両者を区別して取り扱うこととするには合理的な理由があり、それに基づいて日本国民につき戸籍法及び住民基本台帳法を、外国人につき外登法をそれぞれ制定して適用することとしているのであり、右に規定されたそれぞれの義務の内容及びこれを課する必要性と根拠が異なるものである以上、戸籍法及び住民基本台帳法が確認申請義務を規定せず、また、各種義務違反に対しておおむね行政罰である過料を規定しているからといって、外登法が確認申請義務違反について刑罰である懲役、禁錮又は罰金あるいはその併科を規定していることが不合理な差別ということはできない。
その他、所論に添い、弁護人が指摘する在日朝鮮人に関する歴史的、国際的、国内的な経緯などの諸事情につき考察、検討しても、所論の違反事由に該たるべきものは見当たらない。
以上のとおりであるから、外登法一一条一項、一八条一項一号は憲法一四条、国際人権規約B規約二条、二六条に違反しないし、(なお、同規約七条にも違反しないことは明らかである)、これを被告人に適用したことが右憲法一四条などに違反するものでもない。
3 憲法三一条違反の主張について
外登法一八条一項一号は同法一一条一項の規定に違反し確認申請をしないものを処罰する旨定めているが、右規定についても適用のある刑法三八条一項は「罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス但法律ニ特別ノ規定アル場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、故意犯を処罰するのを原則としているのであるが、この「特別ノ規定アル場合」とは過失犯を罰する旨の明文のある場合だけに限らず、その罰則の解釈上過失犯の処罰をも認めていると解せられる場合をも含むものと解すべきところ、外登法一八条一項一号は「・・第一一条第一項若しくは第二項の規定に違反してこれらの規定による申請をしないでこれらの項に規定する期間を超えて本邦に在留する者」とだけ規定し、過失犯をも処罰する旨の明文の規定を設けてはいないが、確認申請が五年に一度とされていること及び違反の形態が不作為であることなどからみて、過失により確認申請を懈怠する場合が極めて多いと考えられること、本邦に在留する外国人に各種の申請を義務付けているのは、その者の居住関係及び身分関係を明確ならしめて在留外国人の公正な管理に資するという行政目的を達成するためであるから、故意による不申請のほか過失による不申請にも同様に罰則を科することとして申請義務の履行を担保する必要性があること、さらには、その法定刑の中に罰金が含まれていることなどを考え併せると外登法に定める各不申請罪は、当然、過失による場合をも含ましめるものとして定められていると解されるものである。外登法に関する最高裁判所の判例(昭和二八年三月五日、同三九年三月三一日など)も「その取締る事柄の本質に鑑み」と説示して過失犯をも含む旨判示しているのも右趣旨と解される。
そして、このような立法の精神ないしは法の目的に照らして前記条項が過失犯の処罰をも認めていると解釈される以上、この解釈に従ってこれを適用することが憲法三一条に含まれる罪刑法定主義の原則になんら反しないことはいうまでもない。
4 以上のとおり、確認制度を定めた外登法一一条一項及びその違反を処罰する同法一八条一項一号は所論が掲げる憲法及び国際人権規約B規約に違反するものではないから、原判決が被告人の原判示所為につき右各条項を適用したのは正当であって、原判決に所論の法令適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。
第二控訴趣意中可罰的違法性がないとの主張について
論旨は要するに、被告人が外登法一一条一項により確認申請を要するとされていた時期は、当初、昭和五八年一月であったところ、昭和五七年法律第七五号の改正によって確認日が更正され昭和六〇年一月一七日までとなったのであるが、被告人は右法律の改正の趣旨を誤解し、改正時である昭和五七年一〇月一日以降五年間にわたって確認手続は不要なものと理解していたため、昭和六〇年六月二四日まで確認申請をしなかったものであるから、このようないわゆる「うっかりミス」による軽微な過失に基づく確認申請義務違反は可罰的違法性がないものとすべきであったのに、被告人の原判示所為に外登法一一条一項、一八条一項一号を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
そこで検討するに、関係証拠によれば、被告人の本件確認申請に至る経緯はおおむね次のとおりと認められる。すなわち、被告人は昭和三九年五月二六日兵庫県姫路市で朝鮮国籍の父、母の子として出生し、同所で生育したが、その後父母が離婚し、ついで、昭和五七年三月父が死亡したため、同市内に住む伯父に引き取られて同人宅で生活していた。被告人は従来自己の外国人登録原票の記載事項の確認申請手続を父に代理申請して貰っていたところ、昭和五五年一月一七日父が右代理申請手続をした際、父から外国人登録原票の記載事項の確認申請手続は三年毎にしなければいけないことや外出時には右登録証明書を常時携帯しなければならないことを聞かされた。その後外登法が昭和五七年法律第七五号により改正されて外国人登録原票の記載事項の確認申請期間が三年毎から五年毎に延長されたことで、被告人は昭和五七年一〇月一日兄に依頼して姫路市役所で自己の外国人登録証明書の注意事項欄の次回切替日の記載の変更をしてもらい、次回の切替日が昭和五八年一月一七日から昭和六〇年一月一七日に変更されたことを知った。その後被告人は右登録証明書の紛失を懸念してそれを自己の机の引出しの中にしまいこみ、月日の経緯とともに次回の正確な切替日を失念してしまった。また、切替日が五年毎になったということは覚えていたものの、その五年という期間を前回の切替日からではなく法律改正がなされたときからであると思い違いをしていたため、右登録証明書の切替最終日である昭和六〇年一月一七日が到来したにもかかわらずその確認申請手続をしなかった。ところが、被告人は同年六月前記伯父の家から加古川市内の被告人の兄宅に転居することになり住居変更手続をすべく机の中に保管していた右登録証明書を取り出して見たところ、前記切替日を既に徒過していることに気づき、同月二四日、加古川市役所に赴き住居変更手続と併せて本件確認申請手続を行なった。以上の事実が認められる。
なお、所論は、原判決は姫路市役所から被告人宛に切替日を知らせる勧奨はがきが昭和五九年末ころ伯父宅に届いていたものの、家人が忙しさに紛れるなどして被告人にその旨知らせなかったとの事実を認定しているが、右事実はこれを裏付ける証拠がないので原判決の右事実認定は誤りであると主張する。確かに、被告人の原審公判廷における供述及び司法巡査に対する供述調査によれば、被告人が、警察の調べによると市役所からはがきを送ったようだと聞かされ、それに基づいて、加古川市役所に提出した理由書に、確認申請の遅れた理由として「切替の通知が年末であった為忙しさにまぎれて家人が忘れていた為切替がおくれました」旨記載したこと、しかし、そのような事実の存否は必ずしも明らかでないことが認められるが、勧奨はがきの送達の有無にかかわりなく、被告人が本件確認申請を失念し、懈怠したことには変わりないので、右の事実誤認は判決に影響を及ぼさないものである。
しかして、右認定の諸事実によれば、本件は被告人の一方的な法律の誤解と外国人登録に対する関心の低さに基づき確認申請をすべき日を失念し、一五七日間という長期間にわたって確認申請を懈怠したという事案であるから、その過失の内容、申請義務違反の態様などの面からみて、本件がその可罰的違法性を阻却さるべき事案とは到底認められないものである。論旨は理由がない。
第三控訴趣意中理由不備及び訴訟手続の法令違反の各主張について
論旨は要するに、原判決は長期在住外国人に対して外登法一一条一項、一八条一項一号を適用したことは憲法一四条、国際人権規約B規約二条、二六条に違反しないとの判断はしているが、
一 その歴史的、国際的、国内的経緯から、一般の定住外国人より特に違憲性、国際人権規約違反性が著しい在日朝鮮人へのこれら外登法の規定の適用について何ら触れていないのは判決に理由を付さなかったものである。
二 また、右のとおり在日朝鮮人へのこれら外登法の規定の適用については違憲性、国際人権規約違反性がとりわけ著しいとの弁護人らの主張に対する判断を遺脱しておるところ、右判断を遺脱しなければ被告人に対して無罪を言い渡すほかなかったから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある
というのである。
しかしながら、右一については、原判決が弁護人の憲法一四条等違反の主張に対する判断として説示するところに、所論の理由不備の簾はない。原判決が在日朝鮮人に対して外登法一一条一項、一八条一項一号を適用していることが法の下の平等に反しない理由を説明していることは判決自体(弁護人の主張に対する判断 三)から明らかであり、また、そこで、外登法の規定の適用については在日朝鮮人をその他の長期在住外国人と区別すべきではないということを前提にたてて合憲判断を導き出していることも判文上明白である。そして、その判断が首肯しうるものであることも既に述べたとおりである。
次に、二についても、原判決が、弁護人の確認制度が法の下の平等に反するとの主張に対する判断の中で、在日朝鮮人へのこの制度の適用について説示していることは前記のとおり明らかであるから、原判決には所論の訴訟手続の法令違反はない。論旨はいずれも理由がない。
以上のとおり、論旨はいずれも理由がないから、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大西一夫 裁判官七沢章 裁判官氷室眞)